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八千代座の歩み

<国指定重要文化財>
明治44年1月こけら落とし

八千代座は、明治43年12月竣工の江戸時代の伝統的な芝居小屋様式を今に伝える建物です。山鹿の商工会が劇場組合を作り、1株30円の株を募って建てたものです。八千代座を設計し、工事監督をしたのは、回船問屋の主人で灯籠師でもあった木村亀太郎です。建築には素人でしたが、研究熱心で東京の歌舞伎座や各地を見学、さらには上海に渡り洋式工法の長所も取り入れました。昭和40年代になると庶民の娯楽が多様化し、八千代座は時の流れの中に取り残されていきます。
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八千代座の舞台に立ったおもな人々 

坂東玉三郎丈をはじめ多くの歌舞伎役者や俳優・歌手の方々が素晴らしい舞台を創っていただきました。八千代座公演の歴史は、明治、大正、昭和時代の芸能の歴史を反映しています。こけら落しの歌舞伎から始まり、活動写真(映画)も盛んで、大正になると浪曲(浪花節)が多くなりました。また、6年に来演した芸術座トルストイの「復活」は山鹿の人々に強い印象をあたえました。
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<八千代座の変遷>

第Ⅰ期 〔建設時〕 明治44年1月、こけら落としの時の姿(1911年)明治43年の初夏に着工されたようです。同年10月17日上棟式、年末に竣工。
第Ⅱ期 〔全盛期〕 大正12年増築工事が完了した時点の姿(1923年)喫煙室の増築が主体で、大正10年の法律改正で、喫煙室の設置が義務づけられたために行った。大正9年に着手し、同12年に完了。
第Ⅲ期 〔衰退期〕 昭和30年代映画館に改造された頃の姿(1950年代)映写室を設けて映画館になる。建物のあちらこちらを小改造する。昭和40年代頃からは、廃屋同然となる。
第Ⅳ期 〔復興期〕 昭和62年市民の寄付を基に復興が始まる。八千代座組合が八千代座を市に寄付。

現在は, 第Ⅱ期に復原されました。